スイスのレッドテントのワークショップで
参加者の女性の一人が言いました:
「こんなふうに私たちが性に取り組めるのは本当に贅沢なことだと感じます。
私が仕事で関わっている難民の女性たちは
生きることに精一杯で
女性としての生き方について考えるゆとりなんて、全然ないんです。」
すると、それを聞いた別の女性が、静かに、そして力強く訴えました:
「私にとっては贅沢ではなく、本当に必要不可欠なことだと実感しています。
自分が女性としてどう生きたいのかを知っていくことは、
人生全般に関わってくるからです。
私は、自分が女の子から大人の女性になる過程で
どうやって自分のからだを大切にすればいいのか、とか
子宮と膣とのつながりをどう培うのか、とか
恋愛とセックスとの関係とか
私は性をどう生きたいのか、といった、
自分にとって本当に大切な問いかけをしたり、
自分の体験したことを分かち合って、
自分らしい性の生き方を模索していくことができませんでした。
それができていたら、どんなによかったか、としみじみ思っているんです。」
あなたはどう思いますか?
性というテーマに取り組むことは、贅沢なおまけでしょうか?
それとも、生きていく上で欠かせないことだと思いますか?
私にとっては、
女性としての自分の中心であるヨーニとしっかりとつながり、
自分らしい性の生き方を見つけていくことなしには、
広い海を羅針盤なしにさまよう船のようなものだと感じています。
一風吹けば流され、一波来れば揺られて、
なかなか自分の針路を定めてゆけないのではないでしょうか。
「思春期の頃、
このレッドテントのように
女性たちだけの安心できるスペースがあって、
自分の想いを聴いてもらい、
聞きたいことが聞けていたら、
いろいろイヤな思いをせずに済んでいたかもしれないのに。」
と涙する女性たちもいます。
そう、レッドテント。
ユダヤ人の女性たち、インディアンの女性たちが
月経の時に集まり、
女性として特別な、この浄化の時期をともに過ごし、
若い女性たちが年上の経験ある女性たちにいろいろ聞いて語ってもらえた場:
大人の女性になるって、
男性を知るって、
子供を産むって、
母親になるって、どんなことなのか。
なんと、日本でも「月経小屋」というのがあり、
そういう営みが行われていたそうです!
私のワークショップのレッドテントでも
さまざまな年齢で、それぞれの人生をこれまで生きてきた女性同士が
胸に抱く想いや体験を語ってくれるとき、
本当に心を開き合える喜びと感謝の気持ちが湧いてきます。
一人の人が体験したことでも、
聞いている私たちにもその気持ちがひしひしと伝わってきて
女性として共感できることが多いのです。
このことを誰かに話すのは初めてです、
という人もいて、
語って受けとめてもらえるありがたさを味わい、
一人で抱えていると重かったことも、
分かち合えることで楽になり、
時には手放すこともできて、
語って涙した後には、見違えるようにはればれとほほえんでくれると、
またそれを見た私たちも嬉しくなり、胸が熱くなります。
女性性、そして性をテーマのワークショップに申し込むこと、
ましてやヨーニマッサージを受けることは
あなたにとって勇気の要ることかもしれません。
そんなあなたに言いたいのは、
疑問に思っていること、
つらいことや悩みがあったら
一人で苦しまなくていい、ということです。
それぞれの見方や体験を尊重し合える場を一緒に築くことで
自分らしい女性としての生き方とはどんなものなのか、
性をどのように生きていきたいのか、
自分ならではのパワーと美しさを喜びをもって発揮していくには
どんなステップを踏んでいけばいいのか、
見つけていくことをお互いに見守りサポートしてゆけるのです。
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